<夢のカツ丼、カツ丼の夢> (再掲載)

 

  ここ数年カツ丼というものを食べていない。 

 若かったころは、カツ丼に限らず天丼や中華丼などの、あの丼物のボリューム感というものは、心頭を滅却するがごとき無私の陶酔の世界にいざなう喰いものとして、ときに発作的に喰いたくなったものだ。 

 その中でもカツ丼というものは、ある種麻薬的な変成意識を生み出す極致にあった喰いもののひとつだった。若さの特権で「カツ丼の大盛り」プラス「ラーメン」などという悶絶的なオーダーをしたこともありました。 

 年をとったということだろうか。近年はカツ丼を喰いたいという欲望もすっかり薄れてしまった。だがなぜか、このところあの幻のカツ丼が登場する夢を何度もくり返しみている。 

 カツ丼の夢をくりかえしみることの心理療法的な意味については、あまりじっくりとは考えたことはない。そんなしちめんどうなことをするより、まずはなによりもう一度あの幻のカツ丼をガツガツと腹いっぱいにかっこみたい。 

 幻のカツ丼の夢から目覚めるたびに、「ああ、もう二度とあのカツ丼を口にすることはできないのだな」という強い喪失感に襲われる。 

 その思い出のカツ丼は、私にとってすでに神話的な存在になってしまっているようだ。その後さまざまな土地で、さまざまなシチュエーションで何杯ものカツ丼を食べてきたが、あのカツ丼を越えるカツ丼にはいまだ出会ったことがない。 

 あのカツ丼に少しでも近いものを求めて、はかない期待をかけて注文するのだが、期待はいつも裏切られた。その期待と幻滅のくり返しで、いつしかカツ丼を注文する気もうせていってしまった。あのカツ丼の存在感があまりにも圧倒的だったため、もはや他のものではけっして満足できないのだ。

 その幻のカツ丼の今はなき面影について語らせていただきたい。昔話であり、その味というのも遠い時を経るあいだにきっと理想化されたものに なっているだろう。しかし、人間の記憶とはそういうものではあるまいか。そういうバイアスを考慮しても、たしかにあのカツ丼は特別なものだった。

 私が生まれた横浜の下町にかつて「銀なべ」という、やや古風な名前の、でも見た目はごくありきたりの町の中華屋という風情の店があった。たぶん最後にいったのは私が二十代半ばのころで、まもなく店はなくなってしまった。その店と幻のカツ丼がこの世から消え失せて、もうすでに四半世紀近くの時間が経っているわけだ。 

 「銀なべ」と染め抜かれたのれんをくぐり、たてつけの悪いガラスの引き戸を開けると、狭い店内はたしか土間(!)になっていたと思う。そこに 安っぽいデコラのテーブルが3つほどと、右手には古びたTVと、雑然と積み上げられた週間漫画誌の山に挟まれて、狭い座敷の小上がりがあった。客の十人も入れば一杯になってしまう規模の店だった。 

 入り口の正面がついたてに仕切られた厨房になっていて、その木のついたての手前下には、厚くほこりをかぶったようなラーメンやカレーや丼物などの蝋細工のサンプルが収まった小さなショーケースがあった。 

 店側の意図とは裏腹に、残念ながらそれは客にとっては、むしろ食欲を失わせる性質のものだったといってよい。カウンターの上の天上ぎわの棚には、澱(おり)のたまったジュースやコーラや三ツ矢サイダーのビンが並べられていた。どれもがうっすらとホコリをかぶっている。そんな時代に取り残されたような店だった。 

 店は老夫婦二人で切り盛りしていて、店の中にはこれもまた動くのがやっとというような老犬がいつも土間にけだるそうに寝そべっていた。

 

 店のご主人は、能に出てくる古木の精が翁(おきな)の姿をとって現世に現れ出たような雰囲気の、異様におっとりとした話し方をする人物だった。 

 まことに失礼なことだが、なにかの知的な障害があるのではないか、と感じてしまうような、そのご主人の現世離れした雰囲気とは対照的に、奥さんの方はやや世知辛いような感じの、平凡な感じの人だった(たぶんごく普通の人ではなかったと思う。でも、そのご主人の人間離れして精霊のような雰囲気と比較すると、なにか地上的な人間という印象があった。あたりまえか)。たぶんあのご主人の人柄のみでは、ささやかな商売ですら維持するのは困難だったのではないか。 

 その店とは子供の頃からのおなじみであり、客商売をやっていた私の家では、忙しいときはそこから出前を取ることも多かった。それですっかり顔を覚えられていて、二十歳をすぎてもその店に顔を出すたび、ご主人から「シロちゃん(下町言葉なので「ひ」と「し」がひっくり返っているのだ)、今日はなににするの」とやさしく聞かれるのには、いささか閉口したものだ。 

 さて、今は無きこの店のカツ丼を味わうべくタイムマシーンに乗って過去にさかのぼってみよう。 

 それは1980年代初頭のある春の日のけだるい昼下がり。ふとのれんをくぐって念願のカツ丼を、それでも心の高鳴りをおさえつつ、なるべくさりげなく注文する。ビールを頼んで、つきだしのお新香をつまみながら、カツ丼ができあがってくるのをぼんやり待っているというシチュエーションである。 

 するとややあって、厨房の方から、ご主人が豚肉を包丁の背でトントンと叩く音が聞こえてくるはずだ。叩かれたロースの豚肉は厚さ一センチ二, 三ミリほどにまで引き延ばされている。大きさはちょうどドンブリからみ出さない程度ぎりぎりの大きさだが、通常のカツ丼のイメージからすると、大きさはともかくちょっと肉が薄いのではという感じかもしれない。 

 やがて厨房の方から、衣をからませたカツを揚げる「ジャー」という小気味よい音が聞こえてくるだろう。そう、この店では決してカツを揚げ置きすることなく、注文があってから衣をつけ揚げはじめるのだ。まず揚げたてのカツを使うこと。それがこの幻のカツ丼の味を生み出すためのまずは絶対にゆずることのできない原則だ。 

 カツ丼専用の、あのカルメ焼きに使うものをやや大きくしたような木の取っ手がついた小鍋に、醤油とみりんをからませた味をベースとしたつゆをひたし、沸騰したところで揚げたてのカツを投入し、手早く全体をとき卵で閉じる。卵がまだ半熟状態で、カツの衣がカラリとした歯触りを失わないうちに火から下ろし、炊きたてのふっくらしたご飯の上に乗せる。それですべてだ。 

 できたての湯気の立つカツ丼がいま目の前にある。 

 グリーンピースなどの余分なものはいっさい入っていない。カツとタマネギと卵とご飯だけの直球勝負だ。 

 カツの揚げ方はややむらがあり、一部衣が焦げている部分もある。そこにとき卵がまだ白身がほとんど生のままどろりとかかっている。見た目は決してよくない。むしろいささかまずそうですらある。 

 だがしかし、目を閉じれば、甘辛いようなつゆと揚げたてのカツの衣の匂いと半熟卵の匂いが渾然一体となった、あのカツ丼独特のかぐわしい匂いがきっとあなたの鼻腔をくすぐり食欲中枢を直撃することだろう。 

 ドンブリを左手で抱え、まずは口元まで寄せる。その香ばしい匂いにむせこみながら、丼にガッシとはしを垂直につき立てる。カツの一片を抱え込みながら、湯気の立つご飯もろともかきこむようにして一口頬張る。 

 つゆの味付けは下町ながらのやや味の濃いものだが、甘さはあくまで控えめである(ちまたのカツ丼どもの、あの頭が痛くなるような甘ったるい味付けはいったいなんなのだ)。このつゆの味を再現することは私にはできそうにない。このつゆのレシピはもはや永遠に失われてしまったのだ。私の舌の記憶はこの味をしっかりと覚えているのだが、それを言葉で表現するのは、もどかしいことだがとてもできそうにない。だからここではただ抽象的に語るしかない。 

 カリッとした歯触りのカツの衣のうえにドロリとした半熟卵のぬめりがからまる。ほぐれた白飯の熱気が口内に満ちる。まずはそういう素材のぶつかり合いのような物理的なレベルでの感覚的な導入部があって、そこにわずかな時間差をおいて、まるでオペラの大団円のように、熱を加えられた豚肉のやや堅めの肉質と柔らかな脂身からにじみ出る滋味が、香ばしい揚げたてのカツの衣とからまりあい、濃い卵黄のまったり感と白身のねっとり感にまみれ、ほくほくのご飯にしみた辛めのつゆによってまとめあげられて、それぞれの味をたんに重ねただけのものではない、もはや「カツ丼」という天上的なイデアが、この地上にまさしく「カツ丼」という姿をもって顕現したとしかいいようのない、融合し一つとなり完成した音楽的なハーモニーとなって怒濤のように押し寄せてくる。そう祝福あれ、今ここに「カツ丼」の神が降臨ましましたのだ。 

 夢の中で何度この店に足を運んだことだろう。 

 私は自分が生まれたこの下町を十五歳のときに出ていってしまっている。しかし、いまも夜ごと見る夢の中で、たぶん全体の一割くらいは、この下町が舞台となっているものなのだ。 

 子供のころ、朝から夕方まで遊び歩いたあちこちの路地や、薄暗い酒屋やベーカリーという感じのパン屋や、古い料亭を舞台として、ときには手に汗を握る冒険から、さりげない私小説風心象スケッチまで、感情の様々なレベルに対応した夢の世界が展開されてきた。この生まれた町を舞台とする夢を集めれば、それだけでもう一つ別な、私だけの夢の世界でのこの町のガイドブックのような分厚い本が一冊書けることと思う。 

 そうした夢の中でも、「銀なべ」の出てくる夢は、いつも強い印象を残す。あるときの夢はこんなものだった。 

 銀なべののれんをくぐって、店の中に入ると、そこはすっかり改装されていて、安っぽい居酒屋のようなものになっている。壁には品のない造花の桜や、クリスマスの飾りつけに使われる、金や銀のヒモ飾りが下がっている。それがいっそううらぶれた雰囲気をかきたてている。客は一人もいない。

 土間の真ん中で、おじさんが途方にくれたように、首をうなだれて立っている。私は思わず、おじさんに向かいくってかかるように詰問する。なんでこんなあやしい店に改装してしまったのかと。 

 おじさんはうなだれたまま、ただ「前の商売がだめになって」とつぶやく。 

 私はまたあのカツ丼をぜひ復活させてほしいと懇願する。 

 話しているうちになぜか激昂してきて、涙ながらにおじさんに向かってかきくどく。 

「あなたがたは気がついていないかもしれないが、どんなにすばらしいものを作っていたのか。それがどんなにお客たちに幸福な思いをさせてきたのか。思い出してほしい。そしてまたあのカツ丼を作ってください」と。 

 おじさんもいつしか涙を浮かべ、「シロちゃん、ありがとう。また頑張ってみるよ」といってくれ、私も感激のあまりおじさんの手をしっかり握り、言葉もなく二人、目と目でうなずきあうのだった。 

 この夢は教えてくれる。 

 それはたかがカツ丼だが、でも同時にただのカツ丼以上のなにかだったのだと。 

 それがなんであるかははっきりとはわからない。たぶんささやかではあるが幸福ということと、それが人から人へと、ときには物を媒介にして伝わっていくものだということに関わるもののような気がする。 

 商売とか、物を作り売るという行為は、たんなる利益の追求だけのものではない。それは本質的には、人と人とを結びつけるある種の宗教的な行為なのだ。 

 あるいは幸福とは、抽象的なものではなく、ささやかだが具体的な「小さきもの」の積み重ねの中にあるというような。 

 人は誰も時代的に、地域的に限定された「生きていく場所」の中でしか生きていけない。それがどんなにちっぽけで、他人からみたらつまらないもののようにみえたとしても、そういう「生きていく場所」のなかで出会った人やものを素材として人は形作られる。どんなに巨大な城壁も、一つひとつの小さな煉瓦たちから作られるように。 

 故郷を舞台とする数々の夢の体験も、それは一生誰にも手渡されることのないごく私的なものとして私の死と共に消えゆくものなのだが、それは今私の中で息づいている。その夢たちの世界は、もうひとつの現実として、私の生の流れに深みのような陰影を与えてくれている。 

 その夢たちは過去形ではあるが、私がどういう土地に生まれ、なにを心の糧として育ってきたか、いつも私に教えてくれる。 

 幸せや不幸せという潮の満ち引きのようなうねりに翻弄されながら、そういう生きていく場所や、出会う人々や物たちという小さきものたちが、私という流れを形成していることに気づかせてくれる。